一代聖教大意

四教は一には三藏教、二には通教、三には別教、四には圓教なり。始めに三藏とは阿含經の意なり。此經の意は六道より外を明かず。但六道（地、餓、畜、脩、人、天）の内の因果の道理を明す。但し正報は十界を明すなり。地、餓、畜、脩、人、天、聲聞、縁覺、菩薩、佛なり。依報が六にてあれば六界と申すなり。此の教の意は六道より外を明さざれば、三界より外に淨土と申す生處ありと云はず。又三世に佛は次第次第に出世すとは云へども、横に十方に並びて佛有りとも云はず。三藏とは一には經藏 亦定藏と云ふ、二には律藏 亦戒藏と云ふ、三には論藏 亦慧藏と云ふ なり。但し經律論の定戒慧、戒定慧、慧定戒と云ふ事あるなり。戒藏とは五戒、八戒、十善戒、二百五十戒、五百戒なり。定藏とは味禪 定名、淨禪、無漏禪なり。慧藏とは苦、空、無常、無我の智慧なり。戒、定、慧の勝劣と云ふは、但上の戒計りを持つ者は三界の内の欲界の人、天に生を受くる凡夫なり。但上の定計りを修する人は、戒を持たずとも定の力に依て上の戒を具するなり。此定の内に味禪、淨禪は三界の内、色無色界へ生ず。無漏禪は聲聞、縁覺と成て、見思を斷じ盡し灰身滅智するなり。慧は又苦、空、無常、無我と我色心を觀ずれば、上の戒定を自然に具足して、聲聞、縁覺とも成るなり。故に戒より定勝れ、定より慧は勝れたり。而れども此三藏教の意は、戒が本體にてあるなり。されば阿含經を總結する遺教經には戒を説けるなり。此教の意は、依報には六界、正報には十界を明せども、而も依報に隨て六界を明す經と名くるなり。又正報に十界を明せども、縁覺、菩薩、佛も聲聞の悟を過ぎざれば但聲聞教とも申す。されば佛も菩薩も縁覺も灰身滅智する教なり。聲聞に付て七賢七聖之位あり。六道は凡夫なり。

此の七賢の位は六道の凡夫より賢く、生死を厭ひ、煩惱を具しながら、煩惱を發さざる賢人なり。例せば外典の許由、巣父が如し。

外道は常（心）樂（受）我（法）淨（身）、佛は苦、不淨。無常、無我と説く。總想念處とは先の苦、不淨、無常、無我を調練して觀ずるなり。法は智慧の火、煩惱のを蒸せば煙の立つなり、故に法と云ふ。頂法は山の頂に登て四方を見るに雲無きが如し。世間出世間の因果の道理を委く知て、闇き事なきに譬えたるなり。始め五停心より此の頂法に至るまで退位と申て惡縁に値へば惡道に墮つ、而れども此の頂法の善根は失ずと習ふなり。忍法は此位に入る人は永く惡道に墮ちず。世第一法、此位に至るまでは賢人なり。但今聖人と成るべきなり。
見思の煩惱を斷ずる者を聖と云ふ。此の聖人に三道あり。見道とは見思の内の見惑を斷じ盡す。此見惑を盡す人をば初果の聖者と申す、此人は慾界の人天には生るれども、永く地、餓、畜、脩の四惡趣には墮せず。天台（弘會 一ノ四 十七）云く「見惑を破るが故に四惡趣を離る」文。此人は未だ思惑斷ぜず貪、瞋、癡身にあり、貪慾ある故に妻を帶す、而れども他人の妻を犯さず、瞋恚あれども物を殺さず、鋤を以て地をすけば蟲自然に四寸去る。愚癡なる故に我が身初果の聖者と知らず。婆沙論に云く「初果の聖者は妻を八十一度一夜に犯す」取意と。天台の解釋（梵網與咸注 一ノ七）に云く「初果地を耕すに蟲四寸を離るゝは道共の力なり」と。第四果の聖者阿羅漢を無學と云ひ亦は不生とも云ふ。永く見思を斷じ盡して、三界六道に此の生の盡きて後生ずべからず、見思の煩惱無きが故なり。又此の教の意は三界六道より外に處を明さざれば生處有りとも知らず、身に煩惱有りとも知らず。又生因なく但灰身滅智と申して身も心もうせて虚空の如く成べしと習ふ。法華經にあらずば永く佛になるべからずと云ふは二乘是なり。此教の修行の時節は聲聞は三生（鈍根）六十劫（利根）、又一類の最上利根の聲聞、一生の内に阿羅漢の位に登る事あり。縁覺は四生（鈍根）百劫（利根）菩薩は一向凡夫にて見思を斷ぜずして、而も四弘誓願を發し、六度萬行を修し、三僧祇百大劫を經て三藏教の佛と成る。佛と成る時始めて見思を斷盡するなり。見惑とは一には身見（亦我見と云ふ）二には邊見（亦斷見、常見とも云ふ）三には邪見（亦揆無見とも云ふ）四には見取見（亦劣謂勝見とも云ふ）五には戒禁取見（亦非因計因非道計道見とも云ふ）。見惑は八十八あれども此の五が根本にてあるなり、思惑とは一には貪、二には瞋、三には癡、四には慢なり。思惑は八十一あれども此の四つが根本にてあるなり。此の法門は阿含經四十卷、婆沙論二百卷、正理論、顯宗論、倶舍論に具に明せり。別して倶舍宗と申す宗あり、又諸の大乘に此の法門少少明す事あり。謂く方等部の經、涅槃經等なり、但し華嚴、般若、法華には此の法門無し。次に通教とは大乘の始なり、又戒、定、慧の三學あり、此の教の意のおきて大旨は六道を出ず。少分利根なる菩薩、六道より外を推し出すことあり。聲聞、縁覺、菩薩共に一の法門を習ひ、見思を三人共に斷じ、而も聲聞、縁覺は灰身滅智の意（おもい）に入る者もあり、入らざる者もあり。此の教に十地あり。 此の通教の法門は別して一經に限らず、方等經、般若經、心經、觀經、阿彌陀經、雙觀經、金剛般若等の經に散在せり。此の通教の修業の時節は、動踰塵劫を經て佛に成ると習ふなり、又一類の疾成ると云ふ邊もあり。已上上の藏、通二教には六道の凡夫、本より佛性ありとも談ぜず。始めて修すれば聲聞、縁覺、菩薩、佛とおもひおもひに成ると談ずる教なり。次に別教とは又戒、定、慧の三學を談ず。此の教は但だ菩薩計りにて、聲聞、縁覺を雜へず、菩薩戒とは、三聚淨戒なり。五戒、八戒、十善戒、二百五十戒、五百戒、梵網の五十八の戒、瓔珞の十無盡戒、華嚴の十戒、涅槃經の自行の五支戒、護他の十戒、大論の十戒、是等は皆菩薩の三聚淨戒の内攝律儀戒なり。攝善法戒とは、八萬四千の法門を攝す。饒益有情戒とは、四弘誓願なり。定とは、觀、練、薫、修の四種の禪定なり。慧とは、心生十界の法門なり。五十二位を立つ。五十二位とは、一に十信、二に十住、三に十行、四に十囘向、五に十地、等覺一位、妙覺一位なり。已上五十二位。

此の教は大乘なり、戒、定、慧を明す。戒は前の藏通二教に似ず、盡未來際の戒、金剛法戒なり。此の教の菩薩は三惡道を恐とせず、二乘の道を三惡道と云ふ。地、餓、畜等の三惡道は、佛の種子を斷ぜず。二乘の道は、佛の種子を斷ずればなり。大莊嚴論に云く「恒に地獄に處すと雖も、大菩提を障へず、若し自利の心を起さば是れ大菩提の障なり」と。此の教の習は眞の惡道とは三無爲の火坑なり、眞の惡人とは二乘を立てるなり、されば惡を造るとも二乘の戒をば持たじと談ず。故に大般若經に云く「若菩薩設ひ（ごう）伽沙劫に妙なる五欲を受とも、菩薩戒に於て猶犯と名けず、若一念二乘之心を起さば名て犯と爲す」文。此文に妙五欲とは、色、聲、香、味、觸の五欲なり。色欲とは、青黛、珂雪、白齒等。聲欲とは、絲竹、管絃。香欲とは、なつかしきかをり。味欲とは、猪鹿等の味。觸欲とは、膚等なり。此等の五欲に伽沙劫に著すれども菩薩戒は破れず、一念の二乘の心を起すに、菩薩戒は破ると云へる文なり。太賢の古迹に云く「貪に汗さるゝと雖も大心盡きず、無餘の犯なきが故に無犯と名く」文、二乘戒に趣くを菩薩の破戒とは申すなり。華嚴、般若、方等、總じて爾前の經にはあながちに二乘をきらうなり。定慧此を略す。梵網經に云く「戒をは謂て大地と爲し定をは謂て室宅と爲す。智慧はこれ燈明なり」文。此の菩薩戒は人畜黄門二形の四種を嫌はず、但一種の菩薩戒を授く。此教の意は五十二位の一一の位に多倶低劫を經て衆生界を盡して佛に成るべし、一人として一生に佛に成る物なし。又一行を以て佛に成る事なし、一切の行を積て佛と成る微塵を積て須彌山と成るが如し。華嚴、方等、般若、梵網、瓔珞等の經に此旨分明なり。但し二乘界の此戒を受る事を嫌ふ。妙樂の釋に云く「遍く法華已前の諸教を尋るに實に二乘作佛の文なし」文。次に圓教は此の圓教に二あり。一には爾前の圓、二には法華、涅槃の圓なり。爾前の圓に五十二位あり。又戒、定、慧あり。爾前の圓とは華嚴經の法界唯心の法門。文に云く「初發心の時、便ち正覺を成ずと」。又云く「圓滿脩多羅」文。淨名經に云く「無我無造にして受者無しとも善惡之業敗亡せず」文。般若經に云く「初發心從り道場に坐す」文。觀經に云く「韋提希時に應じて無生法忍を得」文。梵網經に云く「衆生佛戒を受れば位大覺位同じ諸佛の位に入り、眞に是諸佛の子なり」文。此は皆爾前の圓の證文なり。此の教の意は又五十二位を明す。名は別教の五十二位の如し、但し義はかはれり。其の故は五十二位が互に具して、淺深もなく勝劣もなし。凡夫も位を經ずとも佛にも成り、又往生するなり。煩惱も斷ぜざれども佛に成るに障無く、一善一戒を以ても佛に成る。少少開會の法門を説く處もあり。所謂淨名經には凡夫を會し、煩惱惡法も皆會す、但し二乘を會せず。般若經の中には二乘の所學の法門をば開會して、二乘の人と惡人をば開會せず。觀經等の經に「凡夫一毫の煩惱をも斷ぜずして往生す」と説くは、皆爾前の圓教の意なり。法華經の圓經は後に至つて書くべし（已上四教）。次に五時。五時とは一には華嚴經（結經は梵網經）、別圓二教を説く。二には阿含經（結經は遺教經）但し三藏教の小乘の法門を説く。三には方等經、寶積經、觀經等の説時定らざる大乘教（結經は瓔珞經）なり。但し藏通別圓の四教を皆説く。四には般若經（結經は仁王經）、通教、別教、圓教の後三教を説く。三藏教を説かず。華嚴經は三七日の間の説、阿含經は十二年の説、方等、般若は三十年の説、已上華嚴より般若に至る四十二年なり。山門の義には、方等は説時定らず、説處定らず。般若經は三十年と申す。寺門の義には、方等十六年、般若十四年と申す。秘藏の大事の義には、方等、般若は説時三十年、但し方等は前、般若は後と申すなり。佛は十九出家、三十成道と定むる事は、大論に見えたり。一代聖教五十年と申す事は涅槃經に見えたり。法華經已前四十二年と申す事は、無量義經に見えたり。法華經八ケ年と申す事は、涅槃經の五十年の文と無量義經の四十二年の文の間を勘ふれば八ケ年なり。已上十九出家、三十成道、五十年の轉法輪、八十入滅と定むべし。此等の四十二年の説教は、皆法華經の汲引の方便なり。其故は、無量義經に云く「我先きに道場菩提樹下にして端坐すること六年、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり、○方便力を以て四十餘年には未だ眞實を顯さず、○初に四諦を説き（阿含經也）次に方等十二部經、摩訶般若、華嚴海空を説く」文。私に云く、説の次第に順ずれば、華嚴、阿含、方等、般若、法華、涅槃なり。法門の淺深の次第を列ぬれば阿含、方等、般若、華嚴、法華、涅槃と列ぬべし。されば法華經、涅槃經には爾の如く見えたり。華嚴宗と申す宗は、智嚴法師、法藏法師、澄觀法師等の人師、華嚴經に依て立てたり。倶舍宗、成實宗、律宗は寶法師、光法師、道宣等の人師、阿含經に依て立てたり。法相宗と申す宗は玄奘三藏、慈恩法師等、方等部の内に上生經、下生經、成佛經、深密經、解深密經、瑜伽論、唯識論等の經論に依て立てたり。三論宗と申す宗は般若經、百論、中論、十二門論、大論等の經論に依て吉藏大師立て給へり。華嚴宗と申すは華嚴と法華涅槃は同く圓教と立つ、餘は皆劣と云ふなるべし。法相宗には深密、解深密經と華嚴、般若、法華、涅槃は同じ程の經と云ふ。三論宗とは般若經と華嚴、法華、涅槃は同じ程の經なり、但し法相の依經と諸の小乘經は劣なりと立つ。此等は皆法華已前の諸經に依て立てたる宗なり。爾前の圓を極として立てたる宗どもなり。宗宗の人人の諍は有れども經經に依て勝劣を判ぜん時は、いかにも法華經は勝たるべきなり。人師の釋を以て勝劣を論ずる事無し。五には法華經と申すは開經には無量義經一卷、法華經八卷、結經には普賢經一卷。上の四教、四時の經論を書擧る事は、此法華經を知らん爲なり。法華經の習としては前の諸經を習はずしては永く心得ること莫きなり。爾前の諸經は一經一經を習ふに、又餘經を沙汰せざれども苦しからず。故に天台の御釋に云く「若し餘經を弘るには教相を明めざれども義に於て傷むことなし。若し法華を弘むには教相を明めずんば文義闕ることあり」文。法華經に云く「種種の道を示すと雖も其れ實には佛乘の爲なり」文。種種道と申すは爾前の一切の諸經なり。爲佛乘とは法華經のために一切の經を説くと申す文なり。問ふ、諸經の如きは或は菩薩のため、或は人天のため、或は聲聞、縁覺のため、機に隨て法門もかわり、益もかわる。此の經は何なる人のためぞや。答ふ、此の經は相傳にあらざれば知り難し。惡人善人、有智無智、有戒無戒、男子女子、四衆八部、總じて十界の衆生のためなり。所謂惡人は提婆達多、妙莊嚴王、阿闍世王、善人は韋提希等の人天の人。有智は舍利弗、無智は須利槃特。有戒は聲聞、菩薩、無戒は龍、畜なり、女人は龍女なり。總じて十界の衆生同く圓の一法を覺るなり。此の事を知らざる學者法華經は我等凡夫のためにはあらずと申す、佛意恐れあり。此經に云く「一切の菩薩の阿耨多羅三藐三菩提は皆此經に屬せり」文。此文の菩薩とは九界の衆生、善人惡人、女人男子。三藏教の聲聞、縁覺、菩薩。通教の三乘、別教の菩薩、爾前の圓教の菩薩。皆此經の力にあらずば佛に成るまじと申す文なり。又此經に云く「藥王多く人有て在家出家の菩薩の道を行ぜんに、若し是法華經を見聞し讀誦し書持し供養すること得ること能ずんば、當に知るべし是人は未だ善く菩薩の道を行ぜず、若し是經典を聞くこと得ること有らば乃能善菩薩之道を行ずるなりと」。此文は顯然に權教の菩薩の三祇、百劫、動踰塵劫、無量阿僧祇劫の間の六度萬行、四弘誓願は、此經に至らざれば菩薩の行には有らず。善根を修したるにも有らずと云ふ文なり。又菩薩の行無ければ佛にも成らざる事も顯然なり。天台、妙樂の末代の凡夫を勸進する文。文句に云く「好堅、地に處して牙已に百圍せり。頻伽（かいこ）に在て聲衆鳥に勝れたり」文。此文は法華經の五十展轉の第五十の功徳を釋する文なり。佛苦（ねんごろ）に五十展轉にて説き給ふ事、權教の多劫の修行、又大聖の功徳よりも、此經の須臾結縁の愚人の隨喜の功徳、百千萬億勝れたる事、經に見えつれば、此意を大師譬を以て顯し給へり。好堅樹と申す木は、一日に百圍にて高くをう（生）、頻伽と申す鳥は幼きだも諸の大小の鳥の聲に勝れたり。權教の修行の久しきに諸の草木の遲く生長するを譬へ、法華の行者の速に佛に成る事を一日に百圍なるに譬へ、權教の大小の聖の人をば諸鳥に譬へ、法華の凡夫のはかなきを（かいこ）の聲の衆鳥に勝るゝに譬ふ。妙樂大師重ねて釋して云く「恐くは人謬つて解せる者、初心の功徳の大なることを測らずして而も功を上位に推り、此初心を蔑る故に今彼の行淺く、功深きことを示して以て經力を顯す」文。末代の愚者は法華經は深理にしていみじけれども、我等が下機に叶はじと云て、法を擧げ機を下して退する者を釋する文なり。又妙樂大師、末代に此法の捨てられん事を歎て云く「此の圓頓を聞て而も崇重せざる者は良に近代に大乘を習へる者、雜濫するに由るが故なり。況や像末に情澆く、信心寡薄に、圓頓の教法藏に溢れ、凾に盈れども暫も思惟せず、便ち目を瞑（ふさ）ぐに至る。徒に生じ、徒に死す、一に何ぞ痛しきや」。有人云く「聞いて而して行ぜずんば汝に於て何ぞ預らん、此は未だ深く久遠の益を知らず、善住天子經の如き文殊、舍利弗に告ぐ、法を聞き謗を生じて地獄に墮つるは、恒沙の佛を供養する者に勝れたり、地獄に墮すと雖も地獄より出でて還て法を聞くことを得ると。此は佛を供し法を聞かざる者を以て較量とせり。聞いて而も謗を生ずる尚遠種と爲る、況や聞て思惟し勤めて修習せんをや」文。又云く「一句も神に染ぬれば咸く彼岸を資けん、思惟修習せば永く舟航を用ん。隨喜見聞せば恒に主伴と爲らん、若は取、若は捨、耳に經ては縁を成ぜん。或は順、或は違、終に斯に因て脱せん」文。私に云く、若取若捨、或順或違の文は肝に銘ずるなり。法華翻經の後記に云く釋僧肇記「什（羅什三藏なり）姚興（王）に對して曰く、予昔、天竺國に在りし時、遍く五竺に遊んで大乘を尋討し、大師須梨耶蘇摩に從つて理味を受するに、頂を摩て此經を屬累して言く、佛日西に隱れ遺光東北を照す。此典東北諸國に有縁なり、汝愼んで傳弘せよ」文。私に云く、天竺よりは此の日本は東北の州なり、慧心の一乘要決に云く「日本一州圓機純一、朝野遠近同じ一乘に歸し、緇素貴賤悉く成佛を期す。唯一師等あつて獨り信受せず、我れ未だ之を識らず權とやせん實とやせん。若し是れ實ならば以て哀傷すべし、世尊の言ふが如き、當來世の惡人は佛が一乘を説き給ふを聞て、迷惑して信受せず、法を破して惡道に墮んと。若し是れ權ならば以て隨喜すべし、淨名に言ふが如く「衆の魔事を覺知して而も其行に隨ふことを示し、善方便智を以て、意に隨て皆能く現す」と。妙法蓮華經。妙とは天台玄義に云く「言所の妙とは、妙は不可思議に名くるなり」と。又云く「秘密の奧藏を發く、之を稱して妙と爲す」。又云く「妙とは最勝修多羅甘露の門なり、故に妙と言ふなり」と。法とは又云く「言ふ所の法とは、十界十如權實の法なり」。又云く「權實の正軌を示す、故に號して法と爲す」と。蓮華とは又云く「蓮華とは、權實の法に譬ふるなり」。又云く「久遠の本果を指す、之を喩ふるに蓮を以てし、不二の圓道に會す。之を譬ふるに華を以てす」文。經は又云く「聲佛事を爲す、之を稱して經と爲す」文。私に云く、法華以前の諸經に小乘は心生ずれば六界、心滅すれば四界なり。通教以て是の如し。爾前の別圓の二經は心生の十界なり。小乘の意は六道四生の苦樂は衆生の心より生ずと習ふなり。されば心滅すれば六道の因果は無きなり。大乘の意は心より十界を生ず。華嚴經に云く「心は工畫師の如く種種の五陰を造る、一切世界の中に法として造ざること無し」文。造種種五陰とは十界の五陰なり。佛界も心法の造なれば、心が過去、現在、未來の十方の佛と顯ると習ふなり。華嚴經に云く「若人三世一切の佛を了知せんと欲せば當に是の如く觀ずべし、心諸の如來を造ると」。法華已前の經のおきては、上品の十惡は地獄の引業、中品の十惡は餓鬼の引業、下品の十惡は畜生の引業、五常は脩羅の引業、三歸五戒は人の引業、三歸十善は六欲天の引業なり。有漏の坐禪は色界、無色界の引業、五戒、八戒、十善戒、二百五十戒、五百戒の上に苦空、無常、無我の觀は聲聞、縁覺の引業、五戒、八戒、乃至、三聚淨戒の上に六度四弘の菩提心を發すは菩薩佛界の引業なり。藏、通二教には佛性の沙汰なし。但菩薩の發心を佛性と云ふ。別圓二教には衆生に佛性を論ず。但し別教の意は二乘に佛性を論ぜず。爾前の圓教は、別教に附して二乘の佛性の沙汰なし。此等は皆法なり。今の妙法とは此等の十界を互に具すと説く時妙法と申す。十界互具と申す事は一界の内に餘の九界を具し、十界互に具すれば百法界なり。玄義の二に云く「又一法界に九法界を具すれば、則ち百法界有り」文。法華經とは別の事なし、十界の因果は爾前の經に明す。今經は十界の因果、互具をおきて（掟）たる計りなり。爾前經の意は菩薩をば佛に成るべし、聲聞は佛に成るまじなんど説けば、菩薩は悦び、聲聞はなげき（歎）、人天等はおもひもかけずなんとある經もあり。或は二乘は見思を斷じて六道を出んと念ひ、菩薩はわざと煩惱を斷ぜずして、六道に生じて衆生を利益せんと念ふ。或は菩薩の頓悟成佛を見、或は菩薩の多倶低劫の修行を見、或は凡夫往生の旨を説ば菩薩聲聞の爲には有らずと見て、人の不成佛は我が不成佛、人の成佛は我が成佛、凡夫の往生は我が往生、聖人の見思斷は我等凡夫の見思斷とも知らずして、四十二年をば過しなり。然るに今經にして十界互具を談ずる時、聲聞の自調自度の身に菩薩を具すれば、六度萬行も修せず。多倶低劫も經ぬ聲聞が諸の菩薩のからく（辛）して修したりし無量無邊の難行道が、聲聞に具する間をも（思）わざる外に聲聞が菩薩と云はれ、人をせむる（責）獄卒、慳貪なる凡夫も菩薩と云はる。佛も又因位に居して菩薩界に攝せらるれば、妙覺ながら等覺なり。藥草喩品に聲聞を説いて云く「汝等が所行は是菩薩の道なりと」。又我等六度をも行ぜざるが、六度滿足の菩薩なる文。經に云く「未だ六波羅密を修行することを得ずと雖も六波羅密自然に在前す」。我等一戒をも受けざるが持戒の者と云はる文。經に云く「是則勇猛なり、是則精進なり、是を戒を持ち頭陀を行ずる者と名く」文。問て云く、諸經にも惡人の成佛は華嚴經の調達の授記、普超經の闍王の授記、大集經の婆籔天子の授記。又女人成佛は、胎經の釋女の成佛。畜生の成佛は、阿含經の鴿雀の授記。二乘成佛は、方等陀羅尼經、首楞嚴經等なり。菩薩の成佛は華嚴經等。具縛の凡夫の往生は觀經の下品下生等。女人の女身を轉ずるは雙觀經の四十八願の中の三十五の願。此等は法華經の二乘、龍女、提婆、菩薩の授記に何（いか）なるかわりめ（違目）かある。又設ひかわりめはありとも、諸經にても成佛はうたがひなし如何。答ふ、予の習傳ふる所の法門、此答に顯るべし。此答に法華經の諸經に超過し、又諸經の成佛を許し、許さぬは、聞ふべし。秘藏の故に顯露に書さず。問て云く、妙法を一念三千と云ふ事、如何。答ふ、天台大師此法門を覺り給ひて後、玄義十卷、文句十卷、覺意三昧、小止觀、淨名疏、四念處、次第禪門等の多くの法門を説き給ひしかども、此一念三千をば談義し給はず。但十界、百界、千如の法門ばかりにておはしまししなり。御年五十七の夏四月の比、荊州の玉泉寺と申處にて、御弟子章安大師と申す人に説ききかせ給し止觀十卷あり。上の四帖には猶をしみ給て但六、四種三昧等計りの法門にてありしに、五の卷より十境十乘を立てて一念三千の法門を書給へり。此を妙樂大師末代の人に勸進して給はく「並びに三千を以て指南と爲す。○請らくは尋ね讀まん者心に異縁なかれ」文。六十卷三千丁の多くの法門も由なし。但此初の二三行を意得べきなり。止觀の五に云く「夫一心に十法界を具す。一法界に又十法界を具すれば百法界なり。一界に三十種の世間を具すれば百法界にはち三千種の世間を具す。此三千一念の心に在り」文。妙樂承（う）け釋して云く「當に知るべし、身土一念の三千なり。故に成道の時此の本理に稱ふて一身一念法界に遍ぜん」文。日本の傳教大師比叡山建立の時、根本中堂の地を引給し時、地中より舌八ある鑰（かぎ）を引出したり。此鑰を持して入唐の時に、天台大師より第七代、妙樂大師の御弟子道邃和尚に値奉りて、天台の法門を傳へ給し時天機秀發の人たりし間、道邃和尚悦んで、天台の造り給へる十五の經藏を開き見せしめ給しに、十四を開いて一の藏を開かず。其時傳教大師云く、師此一藏をも開き給へと請ひ給しに、邃和尚云く「此一藏は開くべき鑰なし。天台大師自ら出世して開き給ふべし」と云云。其時傳教大師日本より隨身の鑰を以て開き給しに、此經藏開けたりしかば、經藏の内より光室に滿たりき。其光の本を尋ぬれば此の一念三千の文より光を放ちたりしなり。ありがたき事なり。其時邃和尚は返つて傳教大師を禮拜し給き。天台大師の後身と云云。依て天台の經藏の所釋は遺りなく日本に亙し給しなり。天台大師の御自筆の觀音經、章安大師の自筆の止觀、今比叡山の根本中堂に收めたり。

外道に三人あり。一には佛法外の外道（九十五種の外道）。二には學佛法の外道（小乘）。三には附佛法成の外道（妙法を知らざる大乘の外道なり）。今の法華經は自力も定んで自力にあらず、十界の一切衆生を具する自なる故に我身に本より自の佛界あり。一切衆生の他の佛界をも我身に具せり。されば今佛に成るに新佛にあらず。又他力も定で他力にあらず、他佛も我等凡夫の自ら具せる故に、又他佛も我等が如きの自に現同するなり。共と無因は之を略す。法華經已前の諸經は十界互具を明さざれば、佛に成らんと願ふには必ず九界を厭ふ、九界を佛界に具せざる故なり。されば必ず惡を滅し煩惱を斷じて佛には成ると談ず。凡夫の身に佛を具すと云はざるが故に。されば人天惡人の身を失て佛に成ると申す。此をば妙樂大師は厭離斷九の佛と名く。されば爾前の經の人人は佛の九界の形を現ずるをば、但佛の不思議の神變と思ひ、佛の身に九界が本よりありて現ずるとは云はず。されば實を以てさぐり給ふに、法華經已前には但權者の佛のみありて、實の凡夫が佛に成たりける事はなきなり。煩惱を斷じ九界を厭て佛に成らんと願ふは、實には九界を離れたる佛なき故に往生したる實の凡夫もなし。人界を離たる菩薩界もなき故に、但法華經の佛の爾前にして十界の形を現じて、所化とも能化とも、惡人とも善人とも、外道とも云はれしなり。實の惡人、善人、外道、凡夫は方便の權を行じて眞實の教とうち思ひなしてすぎし程に、法華經に來て方便にてありけり。實には見思、無明も斷ぜざりけり。往生もせざりけりなんど覺知するなり。一念三千は別に委く書すべし。此の經には二妙あり。釋に云く「此の經は唯二妙を論ずと。一には相待妙、二には絶對妙なり。相待妙の意は、前の四時の一代聖教を法華經に對して爾前と之を嫌ひ、爾前をば當分と云ひ、法華を跨節と申す。絶對妙の意は、一代聖教はち法華經なりと開會す」。又法華經に二義あり、一には所開、二には能開なり、開示悟入の文、或は皆已成佛道等の文、一部八卷二十八品六萬九千三百八十四字、一一の字の下に皆妙の文字あるべし、これ能開の妙なり。此の法華經は知らずして習ひ談ずる物は、但爾前の經の利益なり。阿含經開會の文は、經に云く「我此九部の法は衆生に隨順して説く大乘に入るにこれ本なりと」云云。華嚴經開會の文は「一切世間天人及び阿脩羅は皆謂へり今の釋迦牟尼佛」等の文。般若經開會の文は、安樂行品の十八空の文。觀經等の往生安樂開會の文は「此に於て命終して安樂世界に往く」等の文。散善開會の文は「一ひ南無佛と稱せし皆已に佛の道を成じき」の文。一切衆生開會の文は「今此三界は皆是我有なり、其中の衆生は悉く是吾子なり」。外典開會の文は「若俗間經書治世語言資生の業等を説んも皆正法に順ぜん」文。兜率開會の文、人天所開會の文しげき（繁）ゆへにいださず。此經を意得ざる人は、經の文に此の經を讀んで人、天に生ずと説く文を見、或は兜率、利なんどにいたる文を見、或は安養に生ずる文を見て、穢土に於て、法華經を行せば、經はいみじけ（秀逸）れども、行者不退の地に至らざれば、穢土にして流轉し、久く五十六億七千萬歳の晨を期し、或は人、畜等生じて、隔生する間、自らの苦み限りなしなんと云云。或は自力の修行なり、難行道なり等云云。此は恐くは爾前、法華の二途を知らずして自ら癡、闇に迷のみにあらず、一切衆生の佛眼を閉る人なり。兜率を勸たる事は小乘經に多し、少しは大乘經にも勸たり。西方を勸たる事は大乘經に多し、此等は皆所開の文なり。法華經の意は、兜率にして十方佛土中、西方にして十方佛土中、人天にして十方佛土中云云。法華經は惡人に對しては、十界の惡を説けば、惡人五眼を具しなんどすれば、惡人のきわまり（極）を救ひ、女人にして十界を談ずれば、十界皆女人なる事を談ず。何れにも法華圓實の菩提心を發さん人は迷の九界へ業力に引るゝ事なきなり。此意を存じ給ひけるらん。法然上人も一向念佛の行者ながら選擇と申す文には、雜行、難行道には法華經、大日經等をば除たる處もあり。委く見よ。又慧心の往生要集にも法華經を除きたり。たとい法然上人、慧心、法華經を雜行、難行道として、末代の機に叶ずと書給ふとも日蓮は全くもちゆ（用）べからず。一代聖教のおきてに違ひ、三世十方の佛陀の誠言に違する故に。いわうや（況）そのぎ（義）なし。而に後の人の消息に法華經を難行道、經はいみじけれども末代の機に叶はずと謗らばこそ罪にてもあらめ、淨土に至つて法華經をば悟るべしと云云。日蓮が心はいかにも此事はひが（僻）事と覺るなり。かう申すもひが事にや有らん。能能智人に習ふべし。

正嘉二年二月十四日
日蓮 撰